2008年12月22日

女性として生まれて。

女性として生まれて。

先日、息子の少林寺の大会・・・・結果


個人、団体、入賞ならず・・・・。


私も体育館の上から見てて、


息子の動きに何だか「心動かず」、「緊張感」も感じられず。


ほんのちょっと、気合い入れる意味で、


「気合い入ってないんじゃない!」と突き放すように言葉をかけた。


息子もそれには自分で納得してるようで、黙って頷いていた。


でも、、、、その次の夜、

先生との交換一行日記(一行ならぬ20行くらい書いてあったが・・・)(親も一言書くようになってる)

「テスト期間だし、係の仕事もまとめなんし、解体新書のまとめもある時期に

少林寺の大会とはついてないなぁ~・・・・・・・・

・・・・・・優勝候補の人との対戦で、

少しのスキを突いてくるのがすごい!

でも、僕も彼から一本取れて、すこし近づけた気がして

嬉しかった!!!」






なんだか、ねぇ・・・・・・。

彼には彼の事情があったりして、

心はしっかり、親以上に「動いたり」しているし、

何かを掴みながら、一生懸命なのだ。

そしてまだ小6とは言え、男と男の何とも言えないプライドとか

力の差とか、空気感を大会の中で感じ、

その空気とも戦っていたんだって、後で思い起こした私だった。



タイトルの「女性として・・・・」なのだが、



最近、また一つ、霧が晴れた事がある。


「男と女」の在り方で、

私は「ジェンダーフリー」と言っても、

不自然なのは嫌だなぁ、綺麗じゃないなぁ、と思ってた。

でも、今の世の中の風潮は「男女雇用均等法」などで、

とにかく何でも「均等」にしなければ・・・・・、という感じもある中、

でも、だからってピッチリ線を引くなんて不可能だし、

結局不自然なのである。

男女の「性」を守り、尊重する事は

なんでも「平等」であるということではなく、

お互いの「性」をちゃんと理解していこうという姿勢とか、

いったん「刷り込み」されてきた今までの「男女」の立ち位置みたいなものを

心を持って手放し、真っさらな状態で、向き合う姿勢が必要なんじゃないかなって。

で、頭ごなしに「わかってくれない!」っとかって強い主張をするのではなく、

お互いの良いところを高め尊重する。(う~~~ん、言うのは簡単?!)



私の来年の決め事の一つは、

生理の時は、なお一層可能な限り「自分に優しく、そして静かな時間を過ごす」って事。

今まで、中学の時から「生理」だろうが部活のバレーのスライングの練習はやって当たり前、

どんなにきつくて貧血だろうが「仕事」だから、身体の悲鳴は聞かない!って

変に自分に厳しくしてきた。

でも、「子宮筋腫」を患い、

重度の貧血に悩み、

無茶も効かない年頃になった今。

やっと、そういう自然の流れや性を無視した行動を手放して許して行こうって

思えるようになった。

(なんで今までそんなに厳しくしてたんだろうね、私)

そう考えると、かなり楽しい、素敵な時間が過ごせそうで、

今からワクワクしている。

「女性」として生まれた「今」を

楽しみながら

面白がりながら・・・・・・・。


そして子供達はそこから、「男」であり「女」であることの「自由」を

掴んでくれたらなって思う。






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